2011年1月8日土曜日

消えないで・・・

近所の方から、母親が温厚になったね、と言われた。
たしかに、以前はちょっとトゲがあった。

特に土地の問題などでは、近隣に結構迷惑をかけていたし、商売関係ではものの言い方がきついこともあった。

これって良いことなのか?

ちょっと違う。

温厚になったのではなく、本来の姿や敏感な表情を失っているのだと思う。
いや、失っているのではなく忘れていってしまったのだろう。

今日も出がけに「子供たちの弁当は?」と聞かれた。
子供たちというのは、俺と弟が小さかったころの、俺と弟のこと。

母親は、もう、現在の2011年に生きていない。

俺が「子供たちなんていないよ」と返すと、暫く反応がなくなる。
きっと頭の中で「なんで?いないって?あれ、子供って?」っていう、忘却と記憶の葛藤が行われていて、表情が止まってしまうんだろう。

そのうち、自分の頭に浮かんでいた「何故」さえ失って、何を失ったかがわからず、脳の活動が穏やかに休止していく・・・


今はいつ?

ここはどこ?

自分って誰?

目の前のご飯は誰が食べたんだ?

なんでここにいるんだ?


どこに生きているんだろう・・・・
何を楽しみにして、何を生きる目印にしているんだろう・・・


もうすでに自分の名前が書けない。
いつ飯を食べたのか、今は何時なのかもわからない。
季節もわからない。

時折、俺のことも少しずつ記憶から消えていっている。

朝ごはんを用意しておいたら、両方の手を合わせ、深々と頭を下げ「ありがとう」と言ってくれた。
「ありがとう」の意味が怖い。

その時、目の前に立っていた俺は、他人だった。

消えていく母親の姿、性格、表情・・・
ゆっくりと、ゆっくりと・・・・

幼かった俺たちを懸命に支え、励まし、叱り、育ててくれた大切な人に、何も返せない自分が寂しく辛い。

まだ、「さようなら」なんて言える準備はできていないよ。
まだだよ、かあさん。

まだ・・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿