2011年3月31日木曜日

二つの翼

昨年8月に成田から羽田に異動し、はや7ヶ月となった。
仕事の中身は急を要する重要案件が多く、事態収集に相当の労力が必要だった。
しかしながら、自分には二人の頼れる部下に恵まれた。
その活躍により見事に困難を飛び抜けてきた。

その一人が本日付で異動になる。

大切な大きな二つの翼の片一方を持っていかれた。
仕事の仕方は、配慮が細やかで上下左右の連携が見事であり、心底頼れる大事な翼だった。

青天の霹靂。
自分に力があれば、と何度も悔やんだ。

しかし、本人の将来を真剣に考えるならば、沢山の経験を積んで一層大きくなってもらいたい。
燃えさかる炎が熱く零度の水が冷たいことを感じさせるのも俺の仕事。
そして、また一回り大きく強くなって、いつかまた共に飛べることを信じて止まない。

短い期間だったけれど一緒に仕事ができたことは、俺の自慢です。
ありがとう。


君の未来に幸多からんことを。

2011年3月27日日曜日

吉崎浜(H23.3.27)

吉崎浜左
何の気なしに「海へ行こう」と車を走らせた。
いつものサーフポイントの状況を詳しく見てみたかった。

吉崎浜は、大きな被害もなく、景色も何も以前の通りだった。
海は、いつもと変わらない日曜の午後のように、穏やかな波が届いていた。

あまり数は多くないけれど、サーファーも数名入っていてメローな波を楽しんでいた。



椎名内ポイント
千葉県旭市は大きな津波が何度も押し寄せ、海辺の町を襲い、多くの犠牲者も出た場所。
あまり知られていない被災地である。

周辺は大津波の爪痕がまだ残っている。
椎名内ポイントより北側、飯岡壮までは沖合のテトラポットが浜辺まで転がされていた。









椎名内左河口ポイント

その先の橋げたは、大津波の力で、道路へ投げ出されていた。
まるで怪獣でも来て、足で蹴飛ばされたよう。
凄い、としかいいようのない力だ。












さらに北上し、飯岡壮前周辺は大津波の直撃を受けた。
近くの家はすべて波にのまれ、倒れ、崩れていた。

道路の周りでは、家財を天日干ししていたり、多くのボランティアがやってきて、家の修復やガレキの撤去などに忙しかった。
以前来たという大津波の高さを示す標識が海沿いに立っていたが、その位置をはるかに超え、標識自体を飲み込み、後ろに建っている宿泊施設の一階部分を壊していった。










海辺に積まれたガレキの山
海辺の通り沿いは、いくつものガレキの山。
途中の道路は波のようにうねったまま。

帰りに知り合いのサーフショップを訪ねた。

海に入るのはいつでもできる。今は海と共に生活する住民を支えあおう、とスタッフの皆は、震災後ボランティアを続け、町の復興に力を注いでいた。

すると、町の方々からの温かい言葉が・・・

「手伝ってくれて本当にありがとう」
「でも、皆の本当の仕事は波乗りでしょ?」
「私たちは、今、私たちがやることを精一杯がんばっている。皆も、皆のやるべき方向へ向かいなさい」

励ますつもりが励まされた。
今日からサーフショップを再開したそうだ。

日本の復興は、誰かが考え出したスキームで整備されるのではなく、人々の心の中にある「絆」や「思いやり」「優しさ」で、自ら突き進んでいくものなんだ・・・・

日本って強い!と感じた。


2011年3月25日金曜日

勇者の行進

朝早く出勤したら、JALチェックインカウンターに、ある人達の姿が・・・・

消防隊の皆さんたちだった。
これから被災地に向けて出発するのだろう。

朝早かったこともあり、皆に知られず、誰の応援もなく、粛々と手続きを済ませて機内へ向かっていった。

様々な人が様々な方法で義援金を集め、被災者にエールを送っている。

でも、これからその被災地に向かう彼らにも、沢山のエールを送りたい。
彼らの、勇気と、行動力と、強い心に・・・

そして、皆さんも、健康で、安全に戻ってこれますように。

2011年3月21日月曜日

Bloom

日本が未曾有の惨事に見舞われた。

全てを呑み込み、まだ、大きな力で襲っている。
まるで、時を止めてしまったように・・・

でも、春はやってくる。


日本人は、春を迎え、愛でる。
厳しい寒さをしのぎ咲く花に活きる力と喜びを感じ取る。


日本も、季節も、止まらない。

節電

東北地震による影響で福島原発が爆発し、関東域の電力供給が不足した。
休日は大きな工場や大型設備、都心経済が動かないため、需給量が供給を下回り、計画停電が行われなかった。

しかしながら、この計画停電は一過性ではない。
福島原発は今後しばらく回復しないだろう。

みんなで節電を考えたい。
夜、コンビニにいったら看板が消えていた。

ちょっとの力が大きな支えになる。

2011年3月19日土曜日

地震の爪痕②

千葉北方面には有数のサーフポイントがある。
飯岡、椎名内、吉崎浜・・・・
特に飯岡ポイントは、古く助五郎さんの偉業を称えたサーフチームもある。
飯岡の特徴的なメローで緩やかな波が好きになって、海辺に根付いた若者も多かった。
自分もその一人。
地元が近いせいもあるけど、千葉南方面と違って、人も少なく、皆穏やかに波を譲り合い、時に立つ胸~頭くらいの、上からゆっくりと崩れながら作り上げる、柔らかい斜面のショルダーが長く続く波が好きだった。

しかし、東北地震の影響で、大津波が、浜辺とその近辺の家、生活、命まで奪った。

長年かけてテトラポットを計画的に埋めながら作られたサーフポイントは、その形を失った。

テトラポットが、まるで貝殻のように浜辺まで転がりだしていたり、海岸道路が崩れ落ちていたり・・・

津波のパワーにただただ驚くばかり。

2011年3月17日木曜日

地震の爪痕

今日は母親の精密検査の結果を聞きに病院にいってきた。
肺の上部(肺尖)に腫瘍のような影が見つかり、それが何であるのかCTで調べてもらった。

結果から言うと大丈夫。
腫瘍は、肺炎となった細胞が、自然治癒で治って固まったもの。
左の肺の先端がつぶれているものの、呼吸も正常、肺の音も雑音がない、ことから半年に一度CT検査を行うといった診断結果となった。

ふー、一安心。


ん?
ちょっと待って。
肺炎だった?
自然に治った?

全然気づかなかった・・・
きっと本人も気づかなかったんだろうな。

帰りに病院の正面玄関右手を見たら、道路が陥没し郵便ポストが地中に飲み込まれそう。
結構地震凄かったんだなー、と改めて実感。

今でも余震があり、一日に何度も体感している。
もう自分が揺れているのか、地面が揺れているのか分からない。

実家の水道も今日ようやく修理が終わり、今日から風呂に入れる。

でも、風呂場の壁が内側に剥がれていたり、自分の部屋の床が抜けていたりと、まだまだ直さなければならないところが沢山ある。

今日リフォームを依頼した。
ただ、大震災に加えて原発の心配もあり、いつになるかはわからない。

今日は大規模停電もあるとのこと。
早く風呂入って寝るとしよう。

あ、また揺ら揺ら・・・
首都圏に電気需要が集中しているのに、なんで地方を停電させるのかなぁ。
テレビだって各局が同じ報道してるし、CMだってない。

なら、NHKに集約させて、他を停止させるとかすれば、電波状況も改善するし、電力にも貢献できるのでは?
原発も当初中心部から50km 圏内といっていたのに今は80km圏内だって。
85km付近の住民はどう判断するのかね・・・

一番揺れてるのは、日本政府だな。

2011年3月16日水曜日

東北地方太平洋沖地震②

脆弱政府に愚痴を言ってもしかたないが、対応が悪すぎる。
世界4番目の地震の規模、関東大震災に匹敵する被害者数、福島原発の爆発・・・
これらの情報が後手に回っているため、一般市民が恐怖し、風評が自衛に動き買い溜めに奔走する。
流通が混乱し、停滞する。

株価が暴落する。

不眠不休で一生懸命頑張っているように見えて、実は後手後手。
何故「非常事態宣言」を発令しないのか。

株式を一時凍結し、政令を発布、流通及び鉄道、電信通信網を集約、
各社が一つになって事態収集に務める。

今こそ強いリーダーシップをとって、私利私欲を抑制し、日本を一つにして、復興に全力を注ぐ。

敗戦、関東大震災も阪神大震災も乗り越えてきた。
みな方法を知っているはず。

あとは力を束ねるだけ。

日本は強い!
主役は我々国民一人一人です。
今こそ皆で寄せ合いましょう。
ALL for one, One for all.



今回の大震災で被害に見舞われた皆様のご不幸をお祈りするともに、今もなお被災地でご家族を心配され、生活が困窮し大変な思いでお過ごしいただく皆様に、僅少ながら勇気と元気と義援金をお送りいたします。

東北地方太平洋沖地震

落ち着いて考えてみた。
今回の地震は、沈み込む太平洋プレートと関東から東北地方が乗っている北米プレートとの摩擦、揺り戻しによって起きた。

東北ではズレた・・・・
でも北米プレート全体でズレたわけではないから、今後、千葉九十九里辺りのプレートでも同じように連鎖するとしたら・・・・

怖くなった・・・・

今日は地震による影響で、福島原発が1号機から4号機まで連鎖的に爆発を起こした。

放射線の危険性は?
報道は正確なのか?

尾ひれがついてはいけないのだろうが、民の知恵はいつも変わらず、風評による集団心理に動く。

ワカメが放射線に良いというウワサで、スーパーのワカメが売り切れた。

ガソリンが無くなるというウワサで、皆がこぞって給油に急いだ。
地震による影響で、高速道路の一部にひびが入り、一般道が幹線道路となる地域では、当然、陸上輸送が優先されなければならないのに、ガソリンで奔走する一般車と交錯し、渋滞に拍車がかかる。
陸上輸送が停滞し、スーパー等への物資供給が停滞する。
スーパーに買い走る車がさらに拍車をかける。

みんな、落ち着いて!

2011年3月13日日曜日

自慢の姉貴

俺には大切な姉がいる。
正確には従姉になる俺の姉貴。

嫁いできてくれたときからお世話になって、そのころ車がほしかった俺によく車を貸してくれた。
赤いブルーバードで、何度も海に行ったっけ。
きちんと洗車するのが条件だった。

最初のころはきちんとしてたんだけどね・・・・

母親が痴呆症になったころ、人を懐疑の目で見るようになり、いつもきつい言葉で追い返していた。
当然姉貴にもひどいことを言っていた。

でも、いつも飛びぬけに明るい笑顔で、軽やかに話してくれる。
とことん付き合ってくれる。

懐が深い。

病気に見舞われた時もそう。
健常者よりよっぽど明るい。

すごい。

今回の地震の時も真っ先にメールしてくれた。

俺に対する周りからの非難も消し飛ばしてくれる。
俺がどう生きようが、俺の生き方、考え方を信じて支えてくれる。

俺が自慢したい本当の姉貴です。
いつもありがとう!

東北巨大地震②

交通網が復旧していないけど、実家へ急ぐ。
モノレールで浜松町へ。
徒歩で大門へ向かう途中、見上げた東京タワーの先端が曲がってる!
すげー・・・・

大門から浅草線で押上までの運行。
30分待ってその先、高砂までの各駅停車。
とにかく乗車人員がすごい。

高砂であきれるほど待たされ、京成本線で八千代台まで。
高速道路が通行止めのため、バスを利用して成田に向かう中国人団体旅行客が多いこと!
しかも荷物の量が半端じゃない。
家財道具でも買ったのか!と思うほどのバカ買い。
吊棚のうえにはカップヌードルがカートンで乗っている。
床には家電製品の山と自分のスーツケース。

両手が使えず写メも撮れない。

八千代台までクラクラしながら頑張って、成田行きに乗り換え。
ホームで駅係員が大声で叫んでいる・・・

改札経由で隣のホームへ移れ??

ところが人と荷物が多すぎるため、利用者を一旦改札まで出して待機させるもの、計画は大失敗。
成田から来た電車の利用者と激しく交錯し、まるで、ゲームの戦国無双状態。

呂布のように猛進できる人もいれば、あえなく息絶える人も・・・
泣き叫ぶ子供・・・うずくまる女性・・・

ああ・・・ここも地獄絵図・・・

家に着いて、まず水の確認。
裏の水道ポンプへつなぐ水道管から、スプリンクラーのように激しく噴出している・・・
ガスは、大丈夫。
電気もOK。

トイレも流れる。
風呂の壁が崩れている。

部屋は大混乱。
本が崩れ落ち、荷物は散乱。
灯油がこぼれ、なんだか臭い。
1階のガラスケースが割れている。

母親は?

猫を追い回している。

TVを見ながらなんだか、近所?であったらしい地震のことや近況を話してくれる。
「あっちは大変だねー」
「夏祭りが終わったね」

やっぱ、記憶にないんだな。



さて、大片付けしますか・・・
でも一日じゃ無理。

とりあえず、日常に支障がないように、また地震がきても安全を確保できるように。
片付けついでに、ゴミにしてしまおう。
出た出た、なんと14袋。

姉貴に軽トラ借りて、町の焼却場へ。
結構、同じ考えの人が多く、受付で聞いたら、今日は特に多いんだって。


夕方、食事を買いにスーパーへ。

ありゃりゃ、何もないぞ。
そうか、道路が遮断されているから物資が届かないことを想定して、買いだめね。
だから、パンとかレトルトが売り切れ・・・

地震の余波ってここまでなんだなー、と実感。

さ、戻って、猫を追い回す母親を追い回すか・・・

トムとジェリー・・・?

東北巨大地震①

3月11日(金)午後2時
成田を午後2時のリムジンバスで出発し、羽田帰社。
到着は3時予定。
さて、ちょっとひと寝入り・・・ZZZZZZ

ZZZZZZ

?誰かが俺を起こしてる。

だれ?

あれ?

バス全体が揺れている。

ここはどこ?
羽田第1旅客ターミナル前に到着したバスが縦にhop しはじめる。

こりゃただ事じゃないぞ!
ターミナルから沢山の人が道路へ逃げす・・・

窓から見る景色が異常に揺れている。
車の中も、停まっているはずのバスで、人が上下に飛んでいる。

地震だ!でかい!

同日 午後3時05分
急いでバスを降り、揺ら揺らと安定しない床を走ってターミナル内の案内事務所へ駆け込んだ。
スタッフ全員が、鳴りまくる電話と格闘中。

旅客の安否確認、施設の安全確認
避難通路確認、避難場所確保
食糧確保
トイレ排水確認

交通網の情報収集

地上交通が途絶えた羽田空港
同日 午後6時30分
社員全員で力と頭を合わせて協力しあい、すべての安全を確認。

同日 午後7時
お客様への情報提供・・・

同日 午後9時
上空に30機飛行中。うち10機が羽田着を希望。
都内の交通は、JR、バス、モノレール、地下鉄、全ての交通網が遮断。
第1旅客ターミナル 残留者推定3000人、第2旅客ターミナル 残留者推定10,000人
特に2ビルはキャパシティーを倍近く超えている。


TVで様々な映像を見る。
町が波にさらわれていく・・・・
仙台空港にも津波が襲っている・・・

なんだか地獄絵図のよう・・・
途中、実家や弟に何度も電話するが繋がらない。
とりあえず「自分は大丈夫です」メールを打つ。
母親と弟が心配。

同日 午後10時15分
空港残留者のため、毛布・非常食の準備。
社員全員で協力し合い、旅客の皆さんへ配布。
リヤカーや台車で運ぶが、非常食がとにかく重い。
5500人分の備蓄は相当な量・・・




弟から返信メール

実家へ急行し母親の安全確認。
実家は停電、水道破裂、家具倒壊。
一旦弟の住むマンションで預かってくれるという。
うれしい。


3月12日(土) 午前0時45分
配布終了。
腕がパンパン、足はガクガク。

さて、ちょっと一息休むか・・・・
と思ったら、タクシー乗り場が人であふれかえっている。
寒い中、体を震わせながらタクシーを待つのは忍びない、という先輩の意見に同調し、皆でタクシー乗り場へ急行。

3月12日(土) 午前1時
タクシー利用者はターミナルビル館内で並んでいただき、社員がタクシーを捕まえ次第、館外へ案内する。
てことは、社員は寒い中ずっと外で立ちっぱなしか。

ま、旅客のためだ。
笑顔で頑張ろう。

しかし、タクシーが全然来ない。
高速道路に亀裂があるかもしれないため、確認作業含め全面通行禁止。
だから、皆、下道をひたすら走ってくるらしい。

しかも都内大型JR駅(新宿、渋谷)も同様にタクシー希望者で溢れかえっているため、羽田まで来れないのが現状・・・

同日 午前2時
タクシー運転手に都内の情報を聞く。
羽田から品川まで2時間!
タクシー仲間の無線情報によると、成田や茨城方面まで8時間!
この時タクシーは30分に1台。
乗車待ちは200人。

相当に厳しい状況。

同日 午前2時35分
待ちぼうけとなって苛立った旅客数人がクレーム。
「いったいどうなっているんだ!」「なぜ来ない!」

携帯の緊急避難メールが鳴り出す。

長野で震度7!?

怒っていた客の顔つきと話し方が一変。
「日本はどうなっちゃうんだ!!」
「怖いよー!」
慌てて館内に戻る・・・・

同日 午前4時
並んで待つ旅客の列はまだまだ解消しない。
社員たちの体が凍る・・・

同日 午前4時30分
タクシーが続々と羽田へ。
本日早番のスタッフたちがタクシーで都内から集まってきてくれた。
そのタクシーを旅客へ案内。

同日 午前5時
後輩たちが駆けつけ交替。
ありがとー!

一旦事務所に戻って、1時間仮眠。

同日 午前7時
他空港から羽田に着いた旅客が案内所でごったがえす。
皆、羽田や都内の状況がわからないため、案内に時間がかかる。

「どうしても東京ディズニーランドへ行きたいんです!」
「暫く休館ですから、近辺ホテルで休まれたほうがいいですよ」
「え?東京も地震が凄かったんですか?」

「なぜバスが出ない!」
「地震の影響で通行止めです」
「阪神大震災みたいになったのか?」
「いえ。そこまでは・・・」
「じゃ、走らせろ!」
「阪神大震災の経験があるから、走らないんです。お客様の安全確保のためなんです」

「どうやったら一番早く成田へいけるのか」
「すべての交通網が遮断されていますので、どれが早いかはわかりません」
「ハワイに行けなくなったら、おまえどうする!」
「その前に日本が壊滅的になったら、お客様どうします?」

もう、ハチャメチャ。
半分パニック、半分私利私欲。

お客様へ対応しながら、「あれ?自分だって成田へ帰れるのか?」

2011年3月10日木曜日

お寝坊さん

昨日の夜は大仕事。

洗濯機に大量に詰め込まれた衣類を洗って干して、自分のYシャツにアイロンかけて・・・
大量に食べ散らかした母親のご飯を片付けて・・・
茶碗洗って、床掃除して、ゴミまとめて・・・

で、寝たのが3時。

で、今日起きたら6時回ってる・・・
やば!

いつも4時半に起きて母親の食事作って、一緒に食べて、薬飲ませて5時半には家を出るのに、完全に寝坊だ。

そうだ!
成田からリムジンバスで羽田に向かえば1時間で着くぞ!

慌てて支度して、7時発のバスに乗り込んだ。
通勤費は高くついたけど、でも時間を買ったと思えば、ね。
Time is Moneyってことか。

さーて、一眠り。
1時間後には羽田だ・・・ZZZZZZ

ZZZZZ?


8時を回っているのにまだ高速道路?
しかも止まってる・・・

何?
ここはどこ?

まだ走り出して10分くらいのところで事故があったらしく、大渋滞。

しかし、どんな事故だよ。
都内ならまだわかるけど、成田周辺で高速全車線を通行止めてしまうって。

あーいたいた。
派手にやってくれたじゃない。

もしかして、おたくも寝坊?


出所お疲れさんッス

日曜日から研修で3日間缶詰。

管理職が一斉に集められ、次世代の会社をどうするか真剣に意見交換しあう。
かなり深掘りして考えていく。

コーヒー飲んで、フリスク噛んで、コーヒー飲んで、トイレ行って・・・・

頭に浮かんだ将来を、目の前の紙に文字で表現していく作業は、普段会社で机に向かうことよりしんどい。

もともと営業系なんで、椅子にじっと座ってられない。
30分持たない。
小学生低学年レベル。

自分が描く会社の将来をコミットメントする。
成果物を講師が添削。

みな厳しく精査されている。
「そんなんで、会社が、将来が、ワクワクしますか?」
関西弁でまくしたてる・・・・

俺の番、よっしゃ、大きく書こう!
講師に提出すると・・・・

「夢でかすぎ!」
だって、でっかくかけって言ったじゃんか。

で、今日は研修から解放され、職場に戻る。
やっぱ、現場がイチバン。

「シャバの空気はうめーなー」
聞いてた後輩が横で笑ってる・・・

幼いころから店が遊び場だった俺には、研修は牢獄なワケで・・・

2011年3月6日日曜日

観光情報?

近所にある川沿いの公園にあるイベント会場。

その名も「おっぱいテント」
町の人は本当にその名で呼んでいる。

なぜ先端を赤くした?

簡単サラダ

今日はTVでやってたサラダを作ってみた。

まず、水菜を皿いっぱいに広げて、そこに細切りにした大根を乗せます。
ふちにはトマトで色合いの飾りつけ。

最後に鰹節をどっさり盛って、はい出来上がり。

ドレッシングは醤油、ごま油、マヨネーズ・・・隠し味程度に辛子をちょっとだけ。
結構うまし!


かき氷?

Blue Sky

3月になった途端、すごく寒い日が続いてる。
まるで真冬に戻ったような寒さ・・

でも今日はなんだか気温も10度近くまで上昇し、穏やかな一日。
天気も良く、春らしい・・・

時間ものんびり流れる午後の柔らかい日差し。

んー、空に両腕を突き上げて大あくび・・・

お、見上げれば飛行機雲。

2011年3月2日水曜日

夢のあと

雨の日、電車で最終駅を降りる頃、椅子の上の窓は、後頭部のワイパーの跡。

揺れてゆられて、夢心地。

傾向と対策

母は食事中、食事を忘れるのか、他のことが気になるのかわからないけど、監視していないと途中で他のことをしだす。

「あれ?猫は?」
「今日は誰が来るんだっけ?」
「お風呂はどうする?」

で、途中で止めた食事は・・・

「ねーちゃん、食べてないね」
と、捨ててしまったり、片づけてしまう。

で、あまり食べず、ほどなくお腹が空くのか、パンをかじりだす。

せっかく作った食事を食べずに、パンをかじられるのは辛いので、結局最近は食べ終わるまで監視し続けることにした。

夕食は時間があるからいつまでも付き合えるけど、朝が大変。
いつも5時半に家を出るので、5時には食事を出さなきゃいけない。

てことは4時半には起きないと・・・
てことは、早く仕事終えて、早く帰って、早く寝るってことか。
できるかなぁ・・・