2011年12月31日土曜日

吉崎浜(H23.12.31)

今年最後の一日。

今年はいろんなことがあった。

成田勤務から羽田に異動し、案内サービスの管理部署へ。
案内所のサービス向上や新ラウンジ立ち上げに没頭した。

東日本大震災では、羽田空港に留まり、旅客の為にできることを最優先に考え、不眠不休で取り組んだ。
飯岡周辺のサーフポイントが津波でめちゃくちゃになり、ボランティアも行なった。
日本史に残る大災害を目のあたりにした。

夏を迎えると、1年経たずに新部署「事業企画」に異動。
役員からの期待やプレッシャーが多いなか、羽田の活性化、魅力作りに没頭し、良しと考えたものは即実行。
HANEDA JAZZ、羽田空港船着場、新店舗誘致、内際需要喚起イベント・・・
まだまだ出来てないものは沢山あるが、突っ走った感のある一年だった。

一方で、母親の認知症が加速度的に進み、毎日、毎晩、看ていないと過ごせない状況に。
ご飯の食べ方がわからない
布団に寝る方法がわからない
トイレの仕方がわからない

外を徘徊し家に戻れず、近所の人に助けてもらった
心拍と体温が急低下し、救急車で病院に連れて行った

介護に苦しんだけど、実家の周りの手厚いサポートがあって、なんとか切り抜けた。
ターボーちゃん、浩ネエ、そして近所の皆さん、ありがとうございました。

仕事も介護も一気に押し寄せてきた。
それ以外、なにもできなかった。
考えられなかった・・・
大きなものを失った。

辛いとき、苦しいとき、支えてくれる仲間がいた。
笑いつくろう顔の裏で、食いしばっている俺を察して声をかけてくれる。
ホリ、ありがとな。

嬉しい事もあった。
弟が結婚した。
涙が止まらなかった。
多恵ちゃんと幸せに穏やかに暮らしてほしい。

怒涛のような一年だった。


そんな一年を振り返りながら、海まで車を走らせてみた。

夕焼けに伸びる影を映しながら、穏やかに、静かに、波が寄せて還る。

心を空にして聞く波音に、いろんな想いと記憶がよみがえり、砂辺に描いた白泡のようにゆっくりと沁みていく。

今年一年、ありがとうございました。
どうぞ来年も佳い年になりますように。



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